(前号からのつづき)
入店のとき私はいつも、「おはよー」、「こんばんはー」と挨拶をしていました。レジでは「いい色に焼けてますねー」、「寒くなったねー」などと無駄口をたたき、帰りぎわには「ありがとう」と言っていたのです。心当たりといえば、ただそれだけなのです。
でも、ある時、こんな客はめったにいないことにも気づきました。ほとんどのお客さんが黙って入ってきて、黙ってお金を払い、黙って出ていくのです。だからこそ、挨拶をされることが、コンビニで働く彼らにとっては、ことのほか嬉しかったんだろうな、と思えるのです。そしてその挨拶に対するお礼として、彼らは私のことを「品がいい人」という言葉で誉めて返してくれた、そういうふうに理解したのです。
また、こんなこともありました。
私は、柄にもなく花が好きです。地元の商店街でよく一輪挿しの花を買っていました。秋は桔梗(ききょう)、その他の季節はよくバラを買っていましたね。
ここでも、「こんちはー。おばさん涼しくなったねー」などと言ってお店に入っていきます。店内で知らない可憐な花をみつけては、名前など色々聞いて教えてもらったものです。
いつの頃からか、買った花以外に、いつも何かほかの花までオマケをしてくれるようになりました。それだけでもありません。通りを歩いている私をたまたま見つけると、「お茶を飲んでいきなさいよ」と言って、呼び止めてくれることもよくありました。
お花屋さん以外にも、酒屋さんのご主人が消費税を勝手に免除してくれたり、肉屋さんなら、買ってもいない鳥のカラアゲを添えていただいたりと、ご厚意に浴したことは数知れません。
ねえ皆さん、あいさつをする心優しい人は得もしているでしょう。でも、誤解のないように言っておきますが、私は何も、オマケをいただいたり、安くしてほしいから挨拶をしていたのではありませんよ、念のため。ただ、挨拶をする、ひとことふたこと無駄話しをする、それだけの些細なことが楽しいのです。だって、言葉を介したコミュニケーションは人間にしかできないんですよ~。
私は、挨拶とは「おもてなし」ではないかと思っています。挨拶をされた側は、暖かい持て成しを受けたことになりますね。誰でも暖かい持て成しを受ければ、それに対するお礼として、自分ができる何かでお返ししようとするのではないでしょうか。
コンビニの方が私を誉めてくれたのも、花屋さんが私にお茶をすすめてくれたのも、暖かい持て成しを受けたことに対する、彼らのほんのお礼の気持ちだったに違いないのです。いえ、今は、間違いなくそう確信できます。
酒 井 美 智 雄
2004年10月01日